「察言観色(さつげんかんしき)」は「言葉や顔色をよく観察してあざむかれることなく、性質や考え方を見抜くこと」を意味します。
出典は「論語」。孔子と高弟の言動を孔子の死後に、弟子達が記録編纂した儒学思想に関する全20篇の書物です。
「論語」は中国のみならず、日本の思想にも深い影響があります。この書物に以下のような弟子が孔子に質問するエピソードがあります。
子張が質問をした。「君子はどのようにすれば『達』といえるでしょうか。」。
先生は言われた。「お前の言っている『達』とはどのようなことかね?」。
子張は「国に仕えても、豪族に仕えても名声を上げるという意味です。」
孔子は「お前が言っているのは『聞』であって『達』ではないね。『達』は、質朴であり、真面目であり、正義を行い、言葉の意味をしっかり観察して、相手の顔色をよく読んで、深い思慮で他人に気遣いを示すことなのだよ」と言われた。
「言葉の意味をしっかり観察して、相手の顔色をよく読んで」の部分が「言察して色を観る」で「察言観色」の元になっています。
エピソード上ではどちらかというと礼儀を尽くす為に相手の言葉と顔色を読まないといけないよという内容ですが、礼儀を尽くす為に~という部分が意味上から無くなったようですね。