「鶏口牛後」は「大きな組織に隷属するよりも、小組織でもその長となるのがよい」という意味です。
出典は「史記」。中国の前漢の時代に司馬遷(しばせん、紀元前135年? – 紀元前86年?諸説あり)が編纂した歴史書です。
(「鶏口牛後」は十八史略が出典とされることがありますが、成立年代から考えると史記が妥当です)
この書物に蘇秦伝(そしんでん)という章があります。
蘇秦は中国戦国時代の弁論家で縦横家(外交に従事したり情報を集めたりする役割を持った人)でした。この蘇秦伝に
蘇秦が韓王に、「小さい国とはいえ王の権威を保つべきです。大国の秦の臣下に成り下がってはいけません。」と説いて、韓・魏・趙・燕・斉・楚の六国の合従(連合すること)を勧めた
というエピソードがあります。
このエピソードでは実際には「寧ろ鶏口と為るも、牛後と為る無かれ」という風に蘇秦が言ったとされています。
鶏口はにわとりのくちばしで弱小勢力の長のたとえ、牛後は牛のおしりのことで強大勢力に付き従う状態のたとえです。
蘇秦の生きた時代は初の中国統一をなす秦が隆盛を極めた時代で、各国生き残りに必死でした。結局秦が中国統一をすることになります。