「阿諛追従(あびついしょう)」は「取り入る為におもねりこびへつらう様」を意味します。
出典は「漢書(かんじょ)」。中国後漢の章帝の時に班固、班昭らによって編纂された前漢のことを記した歴史書です。(後漢書に対して前漢書と言われることもあります)。
この書物の匡衡伝という章に以下のようなエピソードがあります。
王尊は「役職になりながら責任あるのに、石顕の罪悪を知りつつ見逃していた。これは阿諛追従であり、今日状況が変わり石顕を弾劾出来るようになったが、当時の自分の不忠を明らかにしないのはどういうことだ。」と匡衡を弾劾した。
原文では阿諛追従は「阿諛曲従(あゆきょくしょう)」と描かれています。
匡衡はこの弾劾に恥じ入り辞職を願い出ますが、功績も大きかったことから、時の皇帝 成帝から一旦辞職の保留を促されています。
しかしその後息子の犯罪事件や自身の不正疑惑から、丞相職は罷免されてしまいました。